拝島日吉神社の榊祭(さかきまつり)へ行った(その1:榊神輿渡御)【2024年】

景色・昭島市

2024年9月17日(火)晴れ,23℃~32℃

西日本と東日本は晴れて厳しい暑さになったが、前線に近い北陸から北日本は曇りや雨になった。八王子でも朝から晴れて蒸し暑くなった。

◎中秋の名月

満月がハッキリと見えた。

◎夜ランは時間がなかった

日吉神社例大祭・榊祭 とは

2024年9月14日と15日に、昭島市拝島町にある日吉神社で東京都指定無形民俗文化財に指定されている拝島日吉神社例大祭「第257回榊祭(さかきまつり)」が行われた。
榊祭の発祥は、寛保元年(1741年)9月5日に山王大権現の称号を賜った栄誉を記念して、明和四年(1767年)に御社殿の再建修理と神輿を新造し、同年9月19日に第一回の祭礼が行われた。これが現在も例祭(毎年9月)の前夜祭である榊渡御(榊祭)として残っている。
当時の榊祭は、先頭に榊神輿、そしてお囃子を乗せた山車、御神輿が続いたが、この榊神輿が1864年から独立して宵闇に行われるようになり現在に至っている。
榊神輿がまず町内を練り歩くことによって、後から通る神様の乗った御神輿(宮みこし)の通り道の露払いの役目を果たしている。

日吉神社

午前1時頃、榊神輿は日吉神社を出発し、町内を練り歩いて、午前4時すぎに境内に戻ってくる予定というので、2024年9月15日午前3時40分に日吉神社に着いたが、神社周辺は静まり返っていた。

榊神輿渡御

神社に参拝した後、奥多摩街道を西へ歩いて行くと、遠くから声が聞こえてきた。さらに歩いて行くと、太鼓の音が聞こえて、セブンイレブンの前で太鼓を叩く人たちがいた。太鼓の左右に2人づつ計4人が思い切り太鼓を響かせていた。この太鼓を思い切り叩くのはすごく体力がいる。その後ろに、大きな榊神輿が見えた。

太鼓の後に、榊神輿がやってきた。

この榊神輿は、毎年、除災招福、魔除けを祈念して村人たちが体を浄めて心をこめて奉仕して組み上げる。木枠を組んで、その中心に大木を据えて、根元の周囲を400㎏~450kgの土俵を積み上げて固定して作り上げたもの。榊の葉一枚ごとに紙垂(しめ)を麻で結びあげる。

これを村の若い人たちが、宮神輿渡御の先払いとして、担いで村中を渡御していく。

この榊神輿はとにかく重くて、高さがあって不安定で、葉が繁っていて視界も悪く、担ぐ丸太の長さも普通の御神輿より短いので担ぎ手は少なくて、担ぎ手一人づつの負担はすごく大きいと感じられた。

このため、榊神輿の前後左右のバランスをとることがすごく難しく、数メートル進むのに悪戦苦闘していた。

担ぎ手が神輿の下敷きにならないか、心配だった。

午前4時30分、パトカーが奥多摩街道の交通封鎖を解除するとアナウンスする中、榊神輿は奥多摩街道に面した日吉神社の鳥居前にギリギリ着いた。

榊神輿ご一行は少し休んで、5時、最後の難関、日吉神社前の鳥居を斜めに傾かせてくぐって、石段を一段づつ上っていった。担ぎ手は疲れ切っていて、脚が攣って離脱した人もいた。

5時9分、榊神輿は日吉神社の社前に到着し、その後、担ぎ手により数度もまれて、奉納された。

榊取り

5時13分、笛の音が響いて、この祭りのクライマックス「榊取り」が始まった。榊神輿を担いできた人たちが榊神輿の小枝や御神筒をもぎ取って、それぞれの家の神棚に奉納する。この榊の枝を取ると一年間無病息災で送れるといわれている。

5時15分、再び笛の音が鳴って、榊取りは終わり、最後は若衆の代表が感謝を込めて手締めを行った。

祭り終了後、地元の方が観衆に、残った榊の小枝を配布してくれた。

「日吉神社榊祭」のTV放映

日吉神社の鳥居前に、テレビ番組の案内ポスターがあった。TOKYO MXで2024年10月13日(日)午後5時から「闇夜に猛る若き魂~東京・昭島・日吉神社榊祭~」が放映される。

今回は、そのための録画撮影が行われていた。









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