
2025年9月29日(月)晴れ,22℃~32℃
低気圧が発達しながら東北付近を通過して前線が本州を南下し、東北・北陸では雨、西日本も天気が崩れた。関東では晴れて厳しい暑さになった。八王子でも蒸し暑くなり30℃を超えた。
◎ 夜3kmランニング
20時40分、25℃、休み明けで疲れてゆっくり走を少し。(1km)5分52秒 (2km)11分42秒[5:50] (3km)17分28秒[5:46]
八王子医療刑務所壁面アート とは
2017年9月16日~10月15日に開催された八王子市市制100周年記念事業「第34回全国都市緑化八王子フェア」関連企画として、八王子駅南口から徒歩約10分にある八王子医療刑務所の壁面に、壮大な壁画が展示された。
この八王子医療刑務所壁画は、八王子市の委託で八王子市にある東京造形大学が制作した。
絵画専攻領域の先生と学生が下絵を担当し、地元住民の方々からヒアリングしながら、約1年間をかけて下絵を完成させた。実際の壁画作成は大学教員・学生によって、約2ヶ月半をかけて完成された。その一部には地元住民が参加して、花や昆虫の絵が描かれた。

医療刑務所壁面アート
2017年9月30日、JR八王子駅南口の子安町にある八王子医療刑務所の北側の巨大な壁画を見に行った。壁のサイズは、長さ138m・高さ3.92mもあり、壁画はアクリル絵具によって描かれていた。
壁画は、東側から西側に、八王子の過去から未来に向かって描かれている。
◎ 戦国時代の八王子
戦国時代は、北条氏の武将で八王子城主だった北条氏照が治めていた。武田氏が滅びた後は、武田信玄の娘である松姫が当地に逃れてきて、出家した。

◎八王子発展の礎
関東を徳川家康が治めることになると、大久保長安が八王子宿を整備し、江戸幕府の交通網が整備されると、八王子は甲州道中最大の宿場町として大いに栄えた。かつての武田家の家臣たちを中心に組織された千人同心が活躍した。

◎激動の時代
江戸時代から養蚕、織物業が盛んに行われ、横浜港開港後は、八王子周辺の生糸が貿易品として横浜へ運ばれた。横浜からも西洋文化が八王子に伝わってきた。
1945年8月2日、八王子に空襲があり市街地の90%が焼野原となったが、人々の努力により復興を遂げ、八王子のまちは大きく発展した。

◎新たな時代の幕開け
戦後の苦しい時代を越えて、人々の力で新しい時代へと力強く歩き出す。
1964年の東京オリンピックで自転車競技会場、1967年に中央高速道路が八王子まで開通、1975年には多摩ニュータウンの建設開始など、八王子は大きく発展し、暮らしは豊かになった。

◎ 未来へ
私たちの生活は、先人たちが築いてきた、大きく深い歴史の流れの上に成り立っている。どの時代の人々も懸命に生き、八王子のまちを守り、次の世代へと繋いできた。
豊かな自然と快適な都市との共存を目指し、未来を担う子供たちの笑顔と希望に溢れるまちを築くこと。
そして、次の世代に繋いでいくことが、今を生きる私たちの使命ではないでしょうか。

「桑都の杜」の誕生へ
医療刑務所壁面アートは、緑化フェア期間中のスポット会場の展示として製作されたもので、その終了後に撤去され、2018年に八王子医療刑務所が昭島市に移転した跡地は八王子市が取得して整備することになった。
現在、八王子市は、この広大な跡地に、八王子の新たなシンボルとして、公園・ライブラリ・交流スペース・ミュージアムなどが一体になった複合機能施設「八王子駅南口つどいの拠点(愛称「桑都の杜」)の整備を進めている。
八王子の未来をより豊かなものにする新施設は、2026年10月に完成、オープンの予定なので、楽しみに待とう。

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