2025年12月14日(日)雨/曇り,2℃~10℃
低気圧が発達しながら日本列島付近を通過したため、西日本から東日本に雨の範囲が移動した。八王子でも午前中は雨が降り、午後は曇り空になったが、気温は上がらず冷んやりとした日になった。
吉良邸跡から隅田川東岸:墨田区
元禄14年(1702)12月14日、赤穂義士達は、本所二ツ目の吉良邸に討ち入り、かたき討ちを果たした後、浅野内匠頭への報告のため、内匠頭のお墓がある泉岳寺に向かった。
旧吉良邸裏門跡に、説明板が立てられている。吉良邸からの引き揚げは午前6時頃と言われている。
2025年12月13日、赤穂義士達が吉良邸から泉岳寺までの引き揚げに通った路を歩いた。

吉良邸を出た一行は、隅田川東岸に向かって、両国橋広小路跡で休息した。(吉良邸から0.3km)

隅田川沿いに南下して、一之橋(0.6km)から新大橋東詰(1.1km)を通って、萬年橋(1.7km)を渡った。

さらに清洲橋東詰(2.0km)を通って、永代橋東詰(2.7km)に着いた。
永代橋東詰の北側に、「赤穂義士休息の地」を示す石碑が建立されている。義士達が永代橋に差し掛かった時、乳熊屋味噌店の上棟の日だったので、主人が一行を招き入れて甘酒粥を振舞って労を労ったという。

永代橋西~築地本願寺前:中央区
永代橋を渡って、隅田川西岸に着いた。ここから中央区に入った。

新川1丁目から高橋を渡って、八丁堀駅前から、鉄砲洲通りを南下した。

港1丁目から隅田川寄りの小道を南下して、佃大橋西詰に着いた。(4.6km佃大橋西詰)
佃大橋から400m西へ行くと、築地川公園に着いた。公園に沿って300mほど南下すると、聖路加国際大学校舎のすぐ西側に、浅野家上屋敷跡の石碑(5.2km)がある。

経路のほぼ中間点、築地本願寺前に着いた(5.6km)。本堂などの建造物保存修理工事が行われている。


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